安定。
2008年 01月 17日
たまっている書類手続きをやりあげに、単身で。
この日記には、私やおとんや弟たちのことが中心に書かれて、
あまりsophyが登場してきませんが、
家族全員にとって、かなりの精神的な支えになってくれました。
sophyは、数年前にお義父さんを亡くしています。
その経験からか、すごく冷静に私たちを支えてくれました。
さっきバス停まで送りに行ったのですが
すごく心細いというか・・・早く帰ってきてくれー><
さて今日も14時に、おかんの面会に行ってきました。
状態は先日と変わりありませんが、
今朝から体温を元に戻し、睡眠薬も止めたとのこと。
これから意識を回復してくれるのを願うばかりです。
そして、麻痺側の右足も痛みに反応して動き、
右手も、足に比べたら反応は薄いものの、動きがみられるようでした。
これからは術後の合併症、肺炎や感染症の恐れのある時期に入りますが、
何事もなく無事2週間が過ぎて欲しい・・・
そう願いながら過ぎる毎日です。
「奇跡が起こってるのかもしれない」と、先日の日記に書きましたが、
私たちはあまり期待はしすぎないようにしています。
期待しすぎると、何かあった時の落胆が大きいからです。
1回目の手術で、とりあえず命を取り止めたことに安堵した矢先、
突然の状態悪化、そして2回目の手術・・・
あの時の落胆の大きさといったらありませんでした。
今度こそもうだめなのかもしれない。
あんなに大きな手術をしたのに、また頭を切り開いて・・・
おかんに対する申し訳なさと、私たちの決断の確信を揺らぎが襲いました。
あの時、諦めずに再手術をしてもらったからこそ、
右半身が動くという奇跡的なことが起こったのは間違いないですが、
完全に安定するまでは、どんなことでも手放しで喜んではいけない。
そう思うようにしました。
今考えれば、この奇跡には必然とも言える幸運がいくつも重なっています。
一つは、発症した時におとんとおかんが二人で外出していたこと。
家で寝たまま倒れていれば、ちょっと横になっているだけだろうと
気付かなかったと思う、とおとんが話していました。
もう一つ、平日の昼間に病院に運ばれたこと。
休日や夜間であれば、わけのわからない研修医が担当し、
意味のない処置をされていたかもしれません。
幸運だったことに、担当してくれたのはその病院の脳外科部長でした。
そして、運ばれた時に救急外来には他の患者が誰もいなかったこと。
その場にいたスタッフ全員が、全力でおかんの救命に力を尽くしてくれました。
最後に、上の弟の存在。
弟は、私たちがどれだけ弱気になろうとも、
決して最後までおかんの命を諦めることはしませんでした。
どんなに悲しくて泣いていても、どんなに辛い現状を目の当たりにしても、
どんな時でも「絶対におかんを助けたい」と意志を貫き通し、
その気持ちに引っ張られて延命処置を行った結果、今の奇跡が生まれました。
実際におかんの奇跡を呼び起こしたのは、弟の存在だったのかもしれません。
by glooby_ayako | 2008-01-17 01:25 | 頑張れおかん!!